兵庫県の南東部に位置する伊丹市は、神戸市から約20km、大阪市から約10kmの圏域にあって、江戸時代には「酒の町」として繁栄し、文人墨客が訪れる文化の香り高い町として喧伝されてきました。その伊丹の街に美術館をという市民の声によって、かつての「酒の町」の中心地に1987(昭和62)年11月、伊丹市立美術館はオープンしました。

館蔵品の大きな柱は、19世紀フランス美術を代表する作家の一人、オノレ・ドーミエの2,000点をこえる諷刺版画、49点の彫刻、4点の油絵などで、このコレクションは日本国内ではもちろん、世界的にも有数の規模を誇っています。

これを核に「諷刺とユーモア」というコンセプトのもと、18世紀イギリスから現在へといたる国内外の近代諷刺画を主に蒐集し、アーカイヴ含め約9,000点を収蔵しています。

また年間5回ほどの展覧会を企画、講演会やワークショップなども積極的に開催し、展示・普及活動にも取り組んでいます。

みやのまえ文化の郷について

みやのまえ文化の郷は、その酒造りの歴史漂う跡地に建つ文化ゾーンの愛称です。枯山水の日本庭園を取り囲むように、美術館と公益財団法人柿衞文庫(有料エリア)、そして伊丹市立工芸センターと伊丹市立伊丹郷町館(国指定重要文化財旧岡田家住宅、県指定文化財旧石橋家住宅、新町家)(無料エリア)があり、展示事業や講座、イベントなどを随時行っています。

各施設のご紹介

旧岡田家住宅(店舗・酒蔵)

江戸時代の延宝2年(1674)に建てられた町屋で、建立当初から酒造業を営んでいました。岡田家の所有となったのは明治33年。店舗は、兵庫県内に現存する最古の町屋で、年代が確実な17世紀の町屋としては全国的にも貴重です。酒蔵は、年代が判明し現存するものでは日本最古の遺構で、江戸時代に隆盛を極めた伊丹の酒造業の歴史を今に伝える重要な文化財です。平成4年1月21日に国の重要文化財に指定されました。

内部では伊丹の酒造業の歴史の展示を行っています。

旧石橋家住宅

江戸時代後期に建てられた商家。母屋の正面には摺り上げ大戸の出入り口装置やばったり床几(しょうぎ)、揚見世など、二階には塗り込めの軒裏や虫籠(むしこ)窓、出格子窓など、建設当初の店構えを残していることから、平成13年に県指定文化財になりました。

石橋家は、18世紀に北少路村・猪名野神社の門前通りで商売を始め、明治以降、紙と金物などの小売業のかたわらに酒造業を始め、その後、日用品の雑貨商を営んでいました。

伊丹市立工芸センター

全国的にも珍しい公立の工芸(クラフト)振興施設。国際公募展である「伊丹国際クラフト展」をはじめ、国内外の作家による機能的・デザイン的に優れた工芸品を紹介する企画展を開催しています。また、各種工芸講座、講演会なども行っています。

公益財団法人柿衞文庫

清酒醸造で栄えた江戸期の伊丹では、俳諧文化が華開き、文人墨客の往来も頻繁でした。この中で蓄積された文化遺産に故・岡田利兵衞(俳号・柿衞)の系統的な収集を加えて発足したのが公益財団法人柿衞文庫です。収蔵品は書籍や軸物、短冊などの貴重な資料約9,500点を数え、東京大学総合図書館の「洒竹・竹冷(しゃちく・ちくれい)文庫」、天理大学附属天理図書館の「綿屋文庫」と並ぶ日本三大俳諧コレクションの1つです。

日本庭園について

みやのまえ文化の郷で四季折々の表情を見せ、訪れる人々の心を和ませるのは、日本を代表する作庭家、重森完途氏によって考案された日本庭園です。旧岡田家住宅の一般公開と旧石橋家住宅の移築に伴い、完途氏の跡を継ぐ重森千靑氏によって一部改修され、文化ゾーン内の各施設をつなぎながら、行き交う人々の目を楽しませてくれています。

庭園設計者、重森完途氏のことば

この地は、古来より水の美味なるところで、江戸初期頃より「伊丹酒」と称し、最上酒とされ珍重された。

このようなところから庭園中央部を流れる白砂は、水の象徴たる意匠、即ち、井泉や湧水、そして清流をあらわし、加えて蓬莱意匠の三尊石組を右端の松樹の付近に意匠した。

更にこの地は元禄頃より「伊丹風」と云われる俳諧の一風・一派が創案された。伊丹の人であった池田宗旦が中心となり、口語を自由に用いた新しい着想の俳諧である。宗旦の後輩にあたる上島鬼貫が、その配下の中堅で著名である。

これは新しい着想の俳諧であるから、庭園も新しさを求め、在来の植栽の多い庭園から離れて、それを尠くし、明るさと理解し易い庭になるように努めた。緑も現代風に多彩にするため、地被類も、高麗芝、龍の鬚、杉苔の三種とし、「市の花」たるサツキを野筋(築山より低い山や丘)紋様の刈込みとし、四種類の緑が展開するようにした。

しかし、単に新しさだけを求めたのではなく、「くの字」形の石橋配置と低い架け方、飛び石の打ち方を、俳諧の侘びの形態の打ち方にして、古典の美しさの基本を求めて、廻遊と観賞の庭園意匠の初心を忠實に表現した。御来館の諸彦の愛好を願う者である。

庭園改修責任者、重森千靑氏のことば

この庭園は、伝統的な技法を活かしながらも、現代の創造性を持って作庭された庭園である。庭園の作者である重森完途は上記のような一文を残している。

このように、日本庭園の伝統と新たな創造を加味した、従来の日本庭園にはなかった庭園であったが、先の阪神淡路大震災によって一時荒廃していた。

しかしながら、この程伊丹市教育委員会、伊丹市造園共同組合のご尽力により、ここに改めて修復手直しされたのがこの庭園である。

周辺整備に伴う石組、サツキ、地被類に関しての若干の変更があるが、地割り、中心的な石組など、この庭園の最も重要なところは竣工当初のままである。新たな文化財古建築などの移築により、美術館を中心とした一大文化ゾーンがこの地に誕生したわけである。奇しくも庭園を中心とした配置になったわけであるが、どれが中心ということはなく、すべての建物と空間がここに和合、結実したのである。

この庭園が、文化ゾーンの一つとして、末永くこの地で愛されることを願う。

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