6.戦後日本と芸術家たち

浅野竹二(1900-1999)

浅野は京都市立絵画専門学校で日本画を学んだのち、一度油絵に転向するも、再び土田麦僊の画塾に入塾し、国画創作協会に出品しました。木版画を始めたのは、30歳の頃からです。当初は写実的な名所絵版画を制作しましたが、次第に自由な表現を目指して創作版画を試み、50歳のとき初めて個展を開催しました。晩年は、1960年(昭和35)に来日したベン・シャーンの助言を得て、より自由で大胆な独自の版画表現を展開させました。

当館ではグワッシュや木版画など約400点を所蔵しています。


前田藤四郎(1904-1990)

旧制伊丹中学(現県立伊丹高校)を卒業した前田は、伊丹ゆかりの作家のひとりです。松坂屋に入社するも1年間入隊。この間に平塚運一が著した『版画技法』を参考にして版画を独習し、除隊後の1929年(昭和4)に春陽会で入選を果たしました。

それ以来、同会を中心にリノカットなどの各種技法に取り組みながらみずみずしい作品を発表していきます。除隊後は義兄経営の印刷所青雲社に入社しデザインを担当、その経験を活かして印刷美術を版画に応用するなど、大衆文化に根づいた造形性あふれる作品を制作して関西版画界の草分け的存在となりました。

版画のほか前田が旧蔵していた資料などを所蔵しています。


井上長三郎(1905-1995)

神戸に生まれた井上は、1923年(大正12)に上京。太平洋洋画研究所にて中村不折の指導を受け、ここで靉光、鶴岡政男らと親交を結びました。1935年(昭和10)に独立美術協会会員となりますが、1938年(昭和13)渡仏、帰国後は独立美術協会を離れ美術文化協会に参加しました。1943年(昭和18)、松本竣介らと新人画会を結成。社会的関心の旺盛な画家として激動の昭和を背景に制作を続けました。殊に戦後は、東京の板橋に居を構えながら、新人画会が合流した自由美術協会を拠点に社会問題を鋭く突いた諷刺絵画をユーモアまじりに描きました。

当館は戦後に制作された2点の油彩を所蔵しています。


小牧源太郎(1906-1989)

小牧は1935年(昭和11)に独立美術京都研究所に入り、《夜》や《民族病理学(祈り)》など、わが国のシュルレアリスムの代表作ともいうべき一連の作品を発表して注目を浴びました。1939年(昭和14)に福沢一郎、北脇昇らと美術文化協会を創立。「仏画的時代」「民俗学的時代」「宇宙空間的時代」と作風の変遷を重ね、《壁画(十一面観音図)》や《宝相華》、あるいは《稲荷図No.1》《道祖神図No.1》、《アルマA(No.8)》などでその成果を問い続けました。晩年の宇宙的構想へと至るその探求の軌跡は、まさに増殖するイメージそのものによって彩られています。

当館には15点の油彩のほか、作家のアトリエにあったデッサンや資料などが収められています。


柳原義達(1910-2004)

神戸出身の柳原は、ロダンやブールデルに影響を受け彫刻家を志します。東京美術学校彫刻科卒業後、国画会同人になるも、1939年(昭和14)佐藤忠良、舟越保武らとともに同会を脱退、新制作派協会に合流し彫刻部創立に参加しました。40歳を迎える頃、実際に目にしたフランス現代彫刻に衝撃を受け、基礎を学び直そうと1952年(昭和7)に渡仏します(~1957)。表面的な写実性ではなく、内側からにじみ出る生命の本質を追求し、具象彫刻の新たな可能性を切り開きました。

当館には、柳原の代表作のひとつ《犬の唄》(1950、鋳造1987)があります。ナチスドイツへの抵抗を表したシャンソンとそれを唄う歌手の身振り(犬のような服従のポーズの裏側に隠された批判精神)に着想を得て制作された作品で、敗戦後の作家自身の孤独が込められています。当館の作品は、石膏原型が既に損失していたため東京ステーションホテル所蔵のブロンズ像(1950)を型に作家自身の監修のもと新に鋳造されました。


浜田知明(1917- )

わが国の諷刺画家の第一人者、浜田知明は、自らの戦争体験を通して人間の愚かさと弱さ、そして社会の不条理を寡黙に版に描き出しました。《初年兵哀歌》連作(1951-54)により高い評価を獲得。その後も、ルガノ国際版画ビエンナーレでの入賞(1956)、アルベルティーナ国立美術館や大英博物館日本館での展覧会開催(それぞれ1979、1993)等、国内外で目覚ましい活躍をみせています。1980年(昭和55)からは銅版画と並行して彫刻の制作も開始しました。版画と彫刻、いずれにおいても硬質な批判精神と諷刺の軽妙さを合わせ持った性格は一貫しています。

当館では版画、彫刻あわせて37点を所蔵しています。


泉 茂(1922-1995)

1939年(昭和14)大阪市立工芸学校図案科を卒業した泉は、大阪大丸店の宣伝部に勤務します。1951年(昭和26)に瑛九、森啓、早川良雄ら9名とデモクラート美術家協会を結成し、版画作品を中心に制作活動を展開しました。1957年(昭和32)には《闘鶏》で第1回東京国際版画ビエンナーレの新人賞を受賞しています。1959年(昭和34)から1968年(昭和43)にかけてニューヨーク、パリに滞在、これを契機にシュルレアリスム的な画風から抽象的で緻密な作品へと移行しました。1970年(昭和45)には大阪芸術大学芸術学科教授に就任し、多くの後進の育成にあたっています。

デモクラート時代の油彩1点ほか版画など約20点を所蔵しています。


武田秀雄(1948- )

多摩美術大学で彫刻を学んだ後、漫画家を志した武田は、1976年(昭和51)に刺青を題材としたイラスト作品《もんもん》で文藝春秋漫画賞を受賞。「オレは漫画家だ、芸術家なんかじゃない!」「絵のスタイルがないのが、私のスタイル」 と、タブーに捉われず多様なテーマに挑戦し続けています。衝撃を秘めたナンセンス、鋭いギャグ、大胆なエロティシズムが特徴的で、色鮮やかな配色と巧みな線描がその独特な世界観をより一層強固なものとしています。1993年(平成5)には大英博物館で個展が開催されました。

《もんもん》《源平》《ALTAMIRA》等版画連作の中の代表的な作品を約50点収蔵しています。


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