8.その他のコレクション

ラウル・デュフィ Raoul Dufy(1877-1953)

デュフィは1877年、フランス北部ノルマンディーの港町ル・アーヴルに生まれました。1900年にパリのエコール・デ・ボザールに入学し、ジョルジュ・ブラックらと交友します。フォービスムなど同時代の美術との出会いを経て、木版画やテキスタイル・デザインの仕事で生計を立てつつ、明るい色彩と軽快な筆さばきによる独自のスタイルを探求しました。1938年にパリ万博電気館の巨大壁画を制作し、画家として成功を収めます。

ル・アーヴルの海はデュフィが生涯描き続けた景色です。「私の少年時代を見守ってくれたのは、海と音楽だった」と語るように、当館所蔵の大作《アンフィトリテ(海の女神)》(1936)にも故郷への思いが込められています。中央の女神を軸に海に関する事柄が走馬灯のように描かれ、水際立った鮮やかな筆勢が画面全体にリズムをもたらしています。

同じく海辺を描いた油彩《サン=タドレスの大きな浴女》(1924)のほか、版画連作《電気の精》(1953)も当館は所蔵しています。


ジェームズ・アンソール James Ensor(1860-1949)

ベルギー北海沿岸の町オステンドに生まれたアンソールは、1881年フェリシアン・ロップスの誘いで前衛グループ「蛹(さなぎ)」に参加、1883年にはクノップフらと共に「レ・ヴァン(二十人会)」を創設しました。

「仮面と骸骨」の画家として知られるアンソールがその才能を開花させたのは、1880年代半ばからです。それまでの静物画や室内画から一転して、死を扱った寓意性の強い作品を激しい色彩で描き始めました。死神や骸骨、仮面などをモチーフにした幻想的な画風は、あまりの個性故に当初は「レ・ヴァン」の仲間や批評家から拒否され、孤独な創作を強いられました。

悪魔の誘惑をキリストが退ける場面を描いた《キリストの誘惑》(1913)には、そうしたアンソールの心情がよく表れています。冷遇される芸術家としての自分を、キリストの受難と復活の物語に重ね合わせ、迫害されながらも最終的には勝利を収める自らの物語に読み替えようとしました。モザイクのようなタッチで描かれた都市が光と溶け合い、幻想的な異質空間を創出しています。

今日ではアンソールの芸術は、表現主義の先駆として高く評価されています。


エミール=アントワーヌ・ブールデル
Emile- Antoine Bourdelle(1861-1929)

フランスのモントーバンに生まれたブールデルは、1884年にパリのエコール・デ・ボザールに入学し、彫刻家ファルギエールに学びました。1893年にロダンと出会い、以降、助手としてまた共同制作者として親しく交友しました。

より深い精神的調和を目指した彼は、師ロダンの影響から脱しようと1900年頃からギリシア美術やロマネスク美術に傾倒していきます。《弓を引くヘラクレス》(1909)や《瀕死のケンタウロス》(1911-1914)等、英雄を主題にした作品を制作し、建築的構成に基づいた素朴かつ力強い作風で成功を収めました。

こうした記念碑的作品の一方で、ベートーベン、ロダン、レンブラントら芸術家の肖像制作にも力を注ぎました。ブールデルの手による堂々たる風貌の《ドーミエ像》(1927)が当館の1Fロビーに、また庭とB1Fの展示室にはそれぞれ《牧神と山羊》(1908-1909)と《モントーバン記念碑》(1898)が設置されています。


堀内正和(1911-2001)

京都市に生まれた堀内正和は、日本の抽象彫刻を代表する作家の一人です。東京高等工芸学校中退後に藤川勇三に師事して具象彫刻を学ぶ傍ら、造形性についても思索を重ね、1936年(昭和11)には二科展に抽象作品を出品しました。

戦後は数々の実験的制作を試み、幾何学的形態と軽妙なユーモアとが溶け合う作風へと収斂していきます。《箱は空にかえってゆく》(1966)について、堀内は次のように語っています。

「意識していたわけではないが、勢いが上に昇っていく作品を今までに随分作った。この作品では、上に昇って空中に飛んでいくものを作りたいと考えた。それから時間を彫刻に採りいれたいと考えた。1番下の手は今日の手。箱をしっかり支えている。真ん中の手は明日の手。箱は手から離れる。上の手は明後日の手。箱は空にかえってしまった。箱は現世の有。すべての有は無より生じ、無にかえる。空なるかな」

(『アート・テクニック・ナウ堀内正和の彫刻』、河出書房新社刊)

当館はこの作品の他に立体作品《箱は空にかえってゆく》(1966、鋳造1987)とドローイング数点を所蔵しています。


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