キース・へリングについて

Keith Haring キース・へリング[ 米国ペンシルヴァニア州出身。1958年~1990年 ]

キース・ヘリングは、アメリカのペンシルヴェニア州レディングに生まれ、カッツタウンで育つ。父親から漫画の描き方を学び、ウォルト・ディズニーに影響を受ける。高校を卒業し、商業美術学校であるアイビースクールを退学した後、ニューヨークに移り、スクール・オブ・ヴィジュアルアーツに通いながらドローイング、パフォーマンス、インスタレーションなど幅広い分野を経験する。そこでケニー・シャーフ、ジャン=ミッシェル・バスキアと出会い、生涯の友となる。

ヘリングは生涯「大衆のためのアート」を目指して活動した。一躍有名になり「キース・ヘリング現象」と呼ばれるムーブメントを起こすきっかけとなったのは、81年から約5年間つづけられたニューヨークの地下鉄広告看板でのサブウェイ・ドローイングだ。階級や人種の差別がなく誰もが利用できる地下鉄は、多くの人々が作品を目の当たりにする最高の場所であり、貼り替えられては突如出現する作品にニューヨークの人々は強い印象を受けた。サブウェイ・ドローイングにより名が知れ渡り、世界中の画廊や美術館などで展覧会を開催しながらも活動は美術界だけに留まらず、公共プロジェクトや企業商品のデザイン、子どもたちとのワークショップをはじめ、マドンナ(ミュージシャン)やビル・T・ジョーンズ(ダンサー・振付師)との交流から数々の作品を生みだすなど、ヘリングは分野の垣根を越えて活動の幅を広げていった。

86年にはニューヨークにPOP SHOPを開店し、Tシャツやおもちゃ、缶バッチなどヘリングの絵が入ったオリジナルグッズを販売する。大量生産されたグッズはヘリングにとってコントロールされたアートであり、大衆に自分のアートを介入させ広げる目的がある。美術評論家からは商業主義だという批判もあったが、できるだけ多くの人々のためのアートを目指したヘリングの活動を象徴するものであった。また、消費文化を芸術に昇華したポップアートの画家アンディ・ウォーホルがこの活動を誰よりも推奨し支えたという背景にも、「大衆」と「アート」の関係における新たな局面がみえる。POP SHOPは東京にも開店され(88年〜05年)、日本でもヘリング・ブームが起こった。

その後も世界を駆け巡り活動を続けていたが、1988年エイズと診断され、1990年2月16日、31歳という若さで亡くなった。約10年という短い活動で生み出された芸術はグラフィティ・アート、ストリートアートの先駆けといわれ、ポップアート以後の現代芸術において新たな展開を先導した。